ウイズダムとは
因果果報のウイズダムとは精神(目的願い、ビジョン)と現象(現実)を本来的に融合させていきます。
その骨格は目的(滅)、現状(苦集)、目標(滅)、方法、手段(道)となっており、仏教における苦集滅道という実践論のステップとも呼応している。
【事態はカオスの状態にある】
「どんな試練もその人が超えられないようなことは起きない」
そしてどんなピンチにも必ず
「一本の白い道は残されている」
【「困」を「願」に運ぶ】
事態に対する私達人間の関わり方の基本は、暗転している現実の痛み(困)と光転して願われる状態(願)に運ぶことにある。それには、その困が自分に対する呼びかけているメッセージと受け止め「困」を「願」に運ぶのは「何のためか」という目的を明らかにしてゆくその目的が自己中心のレベルから次第に志にレベルを上げ共に歩む人たちの願いと響きあうようになれば、具現の智慧は想像を超えた結果を生み出す。
現実の切り開き方には、問題解決と創造という両面がある。問題解決は外(現実)にある問題(実際には、願いにはまだつながっていない現実)と自らの内(精神)にひきつけ、内(精神)を変えることによって暗転している状態を変革する。
創造とは内(精神)にある願いと外(現象)に現してゆくものでエネルギーが外から内に向かう問題解決と内から外に向かう創造とはつながって、「困」を「願」に運ぶことになる。
【因と縁を変えれば果報は変わる】
「精神と現象の融合」という人間と世界の関わり方の本質からみると、因(原因)は精神世界、果(結果)は現実世界にそれぞれ根を置くと捉える。ここは近代科学が、因・果の双方を目に見える現実世界の次元で捉えているものとは異なる。自己変革(私が変わります)によってこそ問題が解決する。複雑で大規模の組織の中で起きる諸問題の解決には、因果の関係だけではなく、因縁果報のまなざしが必要である。因は心である。縁とは取り組みをする「場」の中にある環境ーすなわち同志、原則、システムという三大要素である。同志とは同じ目的を共有できる可能性のある人。原則とはその場の常識、習慣、風土。システムとはその場が共有している評価の仕方、会議や物事の進め方の決まりを言う。
果報あるところに因、縁あり。
因、縁あるところに果報あり。
果報は変えられないが、因と縁は変えられる。
因と縁が変われば必ず果報は変わる。
「因」と「縁」の転換に則った具体的なアクションプログラム
(行動計画)をつくるところまでが「ウイズダム」の取り組みである。